思いは現実化する~海王星と土星

本日のメルマガより抜粋です。
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ここのところ、土星と海王星の90度が続いています。
90度ってなんぞや?といいますと
片方の腕を伸ばして、海王星の方向を指す。
もう片方の腕で、土星の方向を指す。
この時、自分を中心に腕が90度の角度になっているということです。この土星と海王星の響き
海王星は夢やイメージを膨らませ
土星は現実化していきます。
思いが現実化するという力ですね。
ただ90度なので、スムーズにというわけにはいきません。これは10月くらいまで続きます。
ここに昨日は火星が土星に接近しました。
焦燥感が出たり、又は逆にぼんやりとしてしまうことも。
今までの火星の扱いに、土星のチェックが入るかもしれません。

火星は内なるパワーです。
内なる炎(パワー)は使い方を誤ると、全てを焼き尽くしてしまいます。
人を攻撃したり、又は自分を攻撃したりと怒りのパワーになってしまいます。

しかし、この火星のパワーをより良く使えるようになると
社会において、創造性や能力を発揮していきます。
自立していく力であり、自信をもたらすものです。
火星をより良く扱えるのは、大人の証明といった感じですね。

またこの時期、現実と理想のギャップに苦しむかもしれません。
でもギャップを感じることこそが大切で
具体的に計画を立てることができます。

たくさんの夢やイメージが湧いてくるかもしれませんが
こんなこと自分には無理。
私にはこんな力は無い。
なんて自分でとめないで
溢れるままにしておきましょう。

大きな流れにおまかせ~
いつかきっと夢は叶うよ!
くらいのどーんとした気持ちで。
それはそれで、今目の前のことに集中する。
やるべきことを片づけていく。
これが良いバランスですね。それに現実に沿わないものは、土星がちゃんと始末してくれますから(笑)
どうしたら夢を実現させられるのか?
この一年間木星が乙女座にいました。
この期間を振り返ってみましょう。
自分が頑張ったこと、成し遂げたこと
その中で確かに備わったスキルがあるはずです。
それはこれから夢を実現させるための武器になります。
30日に水星が乙女座で逆行開始
と共に金星は天秤座へ。
木星天秤座入りへの橋渡しのような時。
ぜひ乙女座木星期を振り返ってみてください。
乙女座は収穫してこそ、活きてきます。

乙女座シーズンの過ごし方

単純に自分がしたことで
相手が喜ぶとうれしくなる。
誰かの役に立つことで、得られる喜び、充足感。

どんな技術でも、善なる方へ使うこと
これは人間だけに与えられた、インテリジェンスだと思う。

今与えられている仕事をこなす作業。
そこにどんな思いをのせるのだろう。

その作業ひとつでも、祈りとなる。
生活の様々なことでも、思いひとつで
内なる神性と繋がることができる。

太陽が乙女座に入りました。
12星座を体感しながらめぐるこの一年
この乙女座シーズンは、そんなことを大切にしながら
過ごしてみたいと思います。

9月9日に木星は天秤座へ入ります。
木星は約一年ごとに星座(サイン)を移動していきます。
乙女座に木星があったこの一年。
どのような一年だったでしょうか?

 

特に太陽、月、アセンダントが乙女座の方は
大きなシフトチェンジを経験された方が
多かったのではないでしょうか。

この一年の締めくくり的なこの時期。
自分が手にしたもの、収穫したものを
ちょっと振り返ってみてくださいね。

私もこの一年に収穫したことを
またブログに書きたいと思います。

学びやツールを活かすには?とスピリチュアルの話

ツール、やり方がどうこうではなく
それを活かせる状態かどうかが問題。
「状態、あり方」が先にあるから、方法、やり方が活きる。

3年ぶり?くらいに瞑想して、より実感しました。

瞑想は、16~17年くらい毎朝続けてきました。
精神世界の学びを始めたのが、20年ほど前。
当時はチャクラとか瞑想とか、今みたいに簡単に情報が入る時代ではありませんでした。
本も少なく、けっこうな時間とお金がかかったわけです。

でもね瞑想をずっと続けてきたけれど
日常と分離していたわけなんです。
スピリチュアリティを「生きる」ことに活かせなかった。
知識はたくさんあっても、生き方とズレていた。

自分と向き合っているようで、向き合ってなかった。
だから他者とも向き合えなかったんだよね。
居心地の良い場所に逃げ込んでいたんだよね。
でも現実は、生きづらさを抱えていました。

でもなんとなく気持ちは落ち着くので、瞑想は続けていました。
スッキリ感があるので、顔を洗う様な感じ。
ところが站椿たんとうを始めてから、瞑想で得られる領域もカバーできるし、
それどころか多くの領域に、影響が及ぶことがわかってきたんです。

站椿は禅的要素がありますが、現実的に体感が強い。
やってみて、今までの瞑想は妄想だった(笑)と気が付きました。
それで、瞑想はやめました。

実際に站椿を始めてからは、人生や生き方は変容し、私が素の私でいられるようになりました。
そして生活すべてがスピリチュアリティと密接であることが、次第に実感できるようになっていったのです。
スピリチュアリティは分離ではなく、日常に統合されていきました。
「生きづらさ」はいつの間にか無くなっていました。

それで瞑想のことも忘れていたのですが
(資料も捨てちゃったし)
ふと今の私が瞑想をしたらどうなんだろう?と思ったのです。

さすがに16~17年瞑想をやっていれば、やり方は覚えています。
で、試しにやってみたのですが
あらビックリ!
何?この体感・・・。
やり方は一緒なのに、体感が強くある。

それでわかったのが、瞑想というやり方や
精神世界の知識がどうこうではなくて
それを活かせる「状態」に私がなってなかったのです。

やはりまずは「状態」があってこそ。
状態が高まれば、今までの学びが活きてくる。

やり方、ツールも大切だけどね
それを扱う人間がどうあるのか。
それで大きく違ってくる。
同じツールを扱う人がいても、あり方で全然違う。

だからね、まずは「状態」を高めていくこと
そこをシンプルに追求していくと
あなたも世界も変わっていくんだよ。

 

※補足
スピリチュアリティや精神世界と書くと、心霊現象と混同される方がいらっしゃいますが私は管轄外です。
(そういった話、チンプンカンプンです)

あと検証、論理性や現実的な体感、実際の変容が伴わないものは、私は信頼しておりません。

昨今、スピリチュアルブームではありますが、趣味的に楽しむものと
きちんと生き方や生命観に結びついたものと、両極があるなと感じています。

趣味はそれはそれで、わかって楽しむのならありですもんね。
天使とか妖精とか、皆で祈りましょう、光の柱を建てましょうとか
好きな漫画の話をするノリで楽しいですもんね。
これ私も好きです♪(最近は遠ざかってるけど)

違いをわかってて楽しむ、これが大切なんだと思います。

違いを分かった上で、両方を行き来できることが、本当に自由なんですよね。