続きを書く前に、念のため・・・
「覚醒」って、何か特殊なもの(天使とか?)が見えたり、神的な声が聞こえたりなど、そういうことではないことは、ご存知ですよね。
辞書を引くと「目が覚めること、迷いから覚め過ちに気付くこと」とあります。
ここで私なりに定義しているものを、書いておきますね。
「覚醒とは、自分の状態、周りの環境を意識的に観察していること。
良い悪いなどフィルターを通してでなく、そのままを見ていること。
それぞれをジャッジすることなく、違いを楽しめること。
生き方を定めて、目的意識(志)を日常に反映していること。」
「覚醒」という言葉をいきなり使い始めちゃったので、書いておきました。
さっぱり(?)したところで続きです。
松果体を中心とした脳内の変化と同時に、見え方の変化もありました。
視点は一点に定めているけれど、同時に全体が見えるのです。(観の目というらしい)
今までいかに「顕微鏡で世界を覗くように」一点集中して見ていたか、ということに驚きました。
新たな見え方は、実は站椿における目線の訓練のひとつでもあります。
できていると思っていたら、できていなかったんです。
そして今でも、世界を鮮やかに映し出しています。
まるで2Dから3Dに変わったような
荒い画像から4Kに変わったような
全ての輪郭が際立ち、草木一本一本、葉まで立体的に見える
全てが同時にそのままにある、といった感じです。
とても新鮮な感動で、世界を見ています。
そしてこの見え方にシフトし、また脳内を内観すると、血液が後頭部へ集まっているんですよね。
今まではおでこの方に集まっていたのです。
この血液の流れは、非常に気持ちが良いのです。
同時に心の変化もありました。
穏やかで平和な気持ちが持続しています。
これがスピリチュアルでよく言う、ワンネス感覚というのでしょうか。
もちろん今まで大地と繋がる、丹田を中心としたどっしり安定感、安心感はありました。
そこへさらに輪をかけて、平和な思いが内側から涌き出るようなのです。
やはりおでこに血液が集まっていると、攻撃的になるんですよね。
意識的におでこに集中させようとすると、頭が混乱するんじゃないかってくらい、気持ちが悪いです。
後頭部への血液の流れの感覚を知ってしまうと、もう戻れないですね。
あまりにも気持ちが良いので。
平和な心持ち、血液の流れ、目線の使い方は連動していたんですね。
ここまで覚醒について、私に生じた変化と発見を書いてきました。
きっとこれで終わりではなく、始まりなのだと思います。
振り返って感じることは、体感を強く感じること、身体の変化、心の変化、人生の変化は、全てがセットだということです。
心だけ、身体だけとバラバラでは、変容しないということですね。
前回も書きましたが、私のプロセスは誰でも「安全に」覚醒にいたるものです。
内観を伴った「いのち」と結び付いたボディーワークの重要性は、身をもって感じるところでもあります。
今までの私の経験を共有していくこと
本気で変容し自分の人生を生きたい方へ、お渡ししていくこと
また新たに身を引き締める思いで、強く腹に落ちたのでした。
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