学びやツールを活かすには?とスピリチュアルの話

ツール、やり方がどうこうではなく
それを活かせる状態かどうかが問題。
「状態、あり方」が先にあるから、方法、やり方が活きる。

3年ぶり?くらいに瞑想して、より実感しました。

瞑想は、16~17年くらい毎朝続けてきました。
精神世界の学びを始めたのが、20年ほど前。
当時はチャクラとか瞑想とか、今みたいに簡単に情報が入る時代ではありませんでした。
本も少なく、けっこうな時間とお金がかかったわけです。

でもね瞑想をずっと続けてきたけれど
日常と分離していたわけなんです。
スピリチュアリティを「生きる」ことに活かせなかった。
知識はたくさんあっても、生き方とズレていた。

自分と向き合っているようで、向き合ってなかった。
だから他者とも向き合えなかったんだよね。
居心地の良い場所に逃げ込んでいたんだよね。
でも現実は、生きづらさを抱えていました。

でもなんとなく気持ちは落ち着くので、瞑想は続けていました。
スッキリ感があるので、顔を洗う様な感じ。
ところが站椿たんとうを始めてから、瞑想で得られる領域もカバーできるし、
それどころか多くの領域に、影響が及ぶことがわかってきたんです。

站椿は禅的要素がありますが、現実的に体感が強い。
やってみて、今までの瞑想は妄想だった(笑)と気が付きました。
それで、瞑想はやめました。

実際に站椿を始めてからは、人生や生き方は変容し、私が素の私でいられるようになりました。
そして生活すべてがスピリチュアリティと密接であることが、次第に実感できるようになっていったのです。
スピリチュアリティは分離ではなく、日常に統合されていきました。
「生きづらさ」はいつの間にか無くなっていました。

それで瞑想のことも忘れていたのですが
(資料も捨てちゃったし)
ふと今の私が瞑想をしたらどうなんだろう?と思ったのです。

さすがに16~17年瞑想をやっていれば、やり方は覚えています。
で、試しにやってみたのですが
あらビックリ!
何?この体感・・・。
やり方は一緒なのに、体感が強くある。

それでわかったのが、瞑想というやり方や
精神世界の知識がどうこうではなくて
それを活かせる「状態」に私がなってなかったのです。

やはりまずは「状態」があってこそ。
状態が高まれば、今までの学びが活きてくる。

やり方、ツールも大切だけどね
それを扱う人間がどうあるのか。
それで大きく違ってくる。
同じツールを扱う人がいても、あり方で全然違う。

だからね、まずは「状態」を高めていくこと
そこをシンプルに追求していくと
あなたも世界も変わっていくんだよ。

 

※補足
スピリチュアリティや精神世界と書くと、心霊現象と混同される方がいらっしゃいますが私は管轄外です。
(そういった話、チンプンカンプンです)

あと検証、論理性や現実的な体感、実際の変容が伴わないものは、私は信頼しておりません。

昨今、スピリチュアルブームではありますが、趣味的に楽しむものと
きちんと生き方や生命観に結びついたものと、両極があるなと感じています。

趣味はそれはそれで、わかって楽しむのならありですもんね。
天使とか妖精とか、皆で祈りましょう、光の柱を建てましょうとか
好きな漫画の話をするノリで楽しいですもんね。
これ私も好きです♪(最近は遠ざかってるけど)

違いをわかってて楽しむ、これが大切なんだと思います。

違いを分かった上で、両方を行き来できることが、本当に自由なんですよね。